叙々苑
仕事の合間に、北國新聞会館最上階の叙々苑によく行く。切り落としランチ(2200円程度)を毎回頼む。特に食欲が旺盛な日には、牛タンを別に単品で頼む。従業員の女は着物を着ている。
ここから見下ろす風景はいつも、素晴らしい非日常を与えてくれるが、今回は盆が過ぎたというのにいまだ猛暑で、窓際の席には不快な日光が注いでいた。最高の午餐とはいかなかった。しかし相変わらず肉は絶品。
叙々苑の焼き肉はその味もサービスも完成されすぎていて、かつ価格も安いので、資本主義の風穴にいるような気分になる。他の焼き肉店は要らないと思う。
肉を食べたいときは叙々苑以外には行かない。牛丼もステーキも、一切食べない。後味が気持ち悪く、食べたいと思わない。焼き肉は素晴らしい。
20200523
股関節のストレッチをしすぎて、左の大腿部がいわゆる「つった」状態になっている。痛いが気持ちいい。土曜日の昼下がりはこの気持ちよさを感じている間に過ぎていった。
相変わらず庭の白い石を拾っている。拾っては飽きて、また拾って。白い石を拾えば庭がより肥沃になったり見栄えが良くなったりするという予想のもとにやっているが、そんな効果はそもそも無いのかもしれない。むしろ、殺風景になってしまうのかもしれない。しかしそれは結局白い石を拾いきってしまわなければ分からない。だからとにかく黙って石を拾い続ける。人生はすべてそんなものだ。
最近、一人掛けのソファ(宇多田ヒカルのAutomaticのPVに出てくるようなソファ)でオナニーをすることが多い。目の前には大きな鏡があり、自分のペニスが裏側から見える。裏側から見るペニスは、なかなかに頼もしい。自分が自分の手でペニスをしごく行為ですら、見方によって全く異なる。多角的な物事の見方が大事である。
20200521
商品というものはすごい。ネットサーフィン中、ブログやSEOサイトを読むと空虚な気持ちになるが、商品のスペックを淡々と説明したり、商品の写真を載せたサイト(主には公式サイト)を見ると、心が落ち着く。無駄がない。正しい。商品はそれ自体が語ればよいのであり、他人が語る必要はない。商品は、単にその存在だけで、それが世に出されるまでの膨大な経緯が詰まった貴重なものある。
職場のオフィスビルの廊下の先に、何ともいえない小気味よい窓がある。窓の前には非常階段の扉がある。他の部屋の職員が、その窓から外を見遣っていることがある。その姿には、ほんとうのことしか存在しないように感じる。仕事のふとした隙間に、何気なく窓から外を見る。なぜか外を見るために立ち止まってしまう。人間の行動には嘘が多いが、これ以上に「ほんとうの」仕草はない。
20200517
確定申告の還付金の振込通知書が送られてきた。44万円と少しが還付されたようだ。こんなにちょろいならもっと経費をかさ増ししておけばよかった、と15分くらい考え込む。
松本人志のトークは、幻想的な比喩を多用する点で、村上春樹の小説によく似ている。ところで、羊をめぐる冒険からノルウェイの森という流れをたどった私は、ノルウェイの森の筆致の乱雑さに驚かされた。身の回りのものを厳選して暮らしている丁寧な暮らし系のYoutuberがつくった手の込んだVlog動画と、ネタ系Youtuberの動画くらいの差異を感じた。
庭のプランターをひっくり返せば、みみずがものすごい勢いでうんこをしていた。プランターの下はみみずのうんこまみれだった。そしてそのうんこの海の中に、久しぶりに見るカタツムリがいた。